意識と無意識
無意識の割合
人間の無意識の割合は大きい。
いちばん大事な部分である人間同士のコミュニケーションや会話もそうだし、このブログのテーマであるボルテのプレーに関してもそう。
(橘玲という人の「スピリチュアルズ」を読んで感じたことでもあります)
二足歩行のコツは言語化できないしする必要もない。
僕はチャリの手放し運転が出来るのだが、そのコツも特に言語化できない。感覚。(チャリの手放し運転は非常にリスクが高いのでやってはいけません)
でも二足歩行やチャリの手放し運転とは違って、対人コミュニケーションだったりボルテだったりでの"無意識に染み付いてしまった悪い癖"は、現実を生きる上で矯正しないといけない。それらは重要性が高いので感覚に任せてはいけない。
意識によって、無意識の中に良い癖を埋め込まなければいけない。
たぶん対人コミュニケーションだったりボルテの上手い人は、無意識にまかせて回数を積み重ねるのではなく、そこらへんがうまい(もちろん回数をつむのは前提だが)
生まれ持った才能とかのせいにしてると、自分の中での最大値を発揮できなくなる…
他人の無意識のコントロール
「無意識」に左右されている、他人の自分に対する不快な態度を、論理によって捻じ伏せようとするのは実現可能性が極めて低い(論理で社会的に殺せるならそうしたいが)