jnsdvxの日記

ボルテログ

8月よも

大衆向きコンテンツ

音ゲーとは関係ないのだが、エンジニア界隈での話題に類比して音ゲーの話を考えることがある。

ボルテ空間は注意書きに「"個人の"上達論の1つであり教科書的位置付けではない」とことわってはいるのだが、それでもSEO対策をし検索上位に表示されてしまっている以上、単なる個人ブログに留まらない程度には責任感を持たなければいけなかったような気がする。

 

原理、公理にあたる部分まで欺瞞がないか深く追求することと、現実的な欲求や時間的成約とのバランスという感じ。

grab感

nucさんが少し前にTwitter Spaceで「難しい問題が解ける知性」みたいなものに疑問を呈していて、それは主にAtCoderで何位になったとかみたいなアレに対する疑問だと思うんだけど、それはAtCoderにかぎらず生きていく上でのあらゆる虚栄心成分を孕んだ資格/称号獲得行為に通底すると思う。

AtCoderで〇〇色アピールする人は、音ゲーにおいても発狂皆伝やらなんやらで資格アピールするのは好きだなという感じはする。それらに正の相関がある感じ

外部から提供されたプラットフォームという枠組みの中で自己の才能や凄さをアピールする行為の、自主性というか主体性というか自分の人生を生きている感を失っているのではないか、という疑義を生じさせるのは割と本質的な問ではあるとは思う。

(nucさんがgrab感と表現していたものはそういうことなのかな)

メタ認知

最近さまざまな人がきっかけで、かなり自分の人格的欠陥を見つめ直す機会が増えている。

孤独と他責思考と完璧主義は、誇張抜きで人生を破滅に導くと思う。